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2014年05月15日

「幸せ」=ちょっと足りない「今」を喜び、隣にいる誰かを喜ばせようと努力する日々。

「幸せ」は、今の自分が持っていないものを手に入れて、足りない部分を満たされることによって得られるものではなく、「足りない今」、「満たされていない今」を喜ぶことで得られるものだと思う。

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どんな宗教も「個々人の幸福」と「世界平和」をその目的として説く。
どちらかに重点が偏っている可能性はあるしその手段は様々だけれど、もしこの二つの柱が無いのなら、それは宗教ではない。
そしてこれは、無神論者も含めてあらゆる人がたどり着く「人生の意義」の答えだと思う。

ではまず、「個々人の幸せ」はどうだろう?
お金や時間や社会的地位を手に入れること、あるいは未経験のやりたいことをやってみること、またさらには周囲の人に自分にとって都合が良いように変わって貰うことが幸せだろうか?
そんなはずはないよね?
だってそれは幸せを得る手段ではあるけれど、目的ではないからだ。
だからその全部を手に入れたところで、幸せだと思える人もいれば思えない人もいる。
だけれども、「今」満たされていない中でも、幸せを感じられる。
うん。誰でも。努力と発想次第で。

「足りない今」を喜ぶにはまず、足りない「今」の中で、満たされているところを探す毎日の積み重ねから始まる。
このblogでしょっちゅう書いている、「喜び探しの毎日」だ。
喜び探しの感度が高まれば、たとえ困難に出会っても、挫けず、その中にさえ喜びを見つけられるようになる。

個人の幸福は、わずかこれだけのことで満たされるんじゃないだろうか?

じゃあ、「世界平和」の方はどうだろう?
人類に争いが生まれた悠久の歴史と平行して、この理想は語り続けられているのに、その糸口すら見つけられないのが、今の現実だ。
けれども、どんな立場の人でも、自分の今やっている仕事や行いが、それにほんの僅かでも繋がっていると信じられれば、それだけで少なくても、自分自身の生き甲斐は満たされるし、周囲の人を幸せな気分にして、平和的な絆が育まれるのではないだろうか?
健康だろうが寝たきりだろうが、それには寸分の違いもない。


抽象的なことばかりになってしまうので、具体的なことを書いてみよう。

一昨年、Tさんはほぼ寝たきり状態になった知人Sさんに、「あなたは幸せですよ」と言った。

Sさんはある病気を患い、首が僅かに動くだけで、手足も動かせない事態となってしまった。
絶望感に打ちひしがれたSさんは、
「俺の気持ちは誰にも分からん!もう死んでしまいたい!」
と、家族さえ寄せ付けない。

そんなSさんを見舞ったTさんは、
「あなたは幸せですよ」
と言った。

数年前、Tさんの奥さんは40代の若さで末期ガンを患い、亡くなった。
その奥さんの様子を、TさんはSさんに語り、あらためて
「あなたは幸せなんですよ」
と言った。
この話を聞いたSさんは、
「確かに、Tさんの奥さんと比べれば、自分の不幸は20%でしかないな。」
とつぶやいた。
残りの80%は、とても幸せな状態なのだと思った。

そんな会話が終わった頃、Sさんの親類が病室を訪ねて来た。
Tさんは、
「ほら、あなたを心配して、たくさんの人が見舞ってくれる。やっぱりあなたは幸せじゃないですか。」
その言葉にSさんは、
「確かに、幸せやなぁ」
と微笑んだ。

その後Sさんは、辛いリハビリに懸命に挑んだ。
「俺は治るんや」
そう言って頑張る姿は、周囲の人たちの励みにもなった。

その約一年後、Sさんは亡くなってしまったけれど、最期まで今ある幸せを喜びながら生きる姿は、Sさんの周囲を幸せで勇気に溢れたものにしてくれた。

「『もう死んでしまいたい』と言っていた人が、笑う。それが本当の『陽気ぐらし』って言えるんちゃうかな?」

田舎道を走る車の中でそう語ったTさんの横顔は、自信と誇りに溢れているように、僕には見えた。


個々人の幸せも世界平和も、ちょっと足りない「今」を喜び、そこにある幸せを味わうこと、そして隣にいる誰かを笑顔にさせようと努力することから始まるんじゃないだろうか?
こんな風に考えられれば、日々のストレスは、感謝の種になる。

今週のブログテーマ】今回のテーマ:【「みなさんのストレス解消方法を教えてください!」】


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posted by わけい at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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