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2015年04月10日

梅と桜の写真。

ほとんど毎年恒例ですが、梅と桜の写真をひたすらにアップです。
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今週のブログテーマ】今回のテーマ:【「桜にまつわるエピソード」】

posted by わけい at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月23日

他の動物には無く、人間にしかできないこと。

今まで、一度も聞いたことが無かったけれど、本当の本当に、人間にしかできないことが何なのかに、気づきました。

他の動物は持っていない、人間にしか無い能力、と聞いて、どんなことを思い浮かべるだろう?

「言葉」?
でも、初めて聞く外国語は、鳴き声のように聞こえる。
動物の鳴き声も、人間の言葉ほどに複雑では無いにしても、コミュニケーションとしては成立している。

「文字」?
自然界で、文字を使う動物は確かに居ない。
けれど、ある程度訓練を受けた霊長類は、文字を理解するし、手話も使う。

「道具」?
霊長類の多くは、身の回りの枝や石などを使う。しかも霊長類に限らず、道具を使っていると認識できる行動は、少なくない。

「火」?
自ら火をおこし、調理などを行う動物は居ない。
けれど、家庭のペットなどは、火を使って調理されたものを好んで食べる傾向もある。
雷などで発生した火で焼け死んだ動物の肉を食べる場合もあるだろうし、積極的な利用はしないにしても、ある程度生活の中で求めているとも言えるのではないだろうか。
また、猿やカピバラは、好んで温泉に入る。

「戦争」?
狩り目的ではなく、同種の動物が争うのは、縄張り争いなどでとても多い。

「助け合い」?
家族や同じグループ間で、病気やケガをした仲間に餌を与え、傷を癒やそうとする行動も多く見られる。
しかもそれは、哺乳類や鳥類に限らず、爬虫類や両生類でも、卵や子どもを守る行動が見られる。

「心」?
仲間のために、戦い、助け合い、鳴き声や表情でコミュニケーションを取る多くの動物たちに、心が無いとはとても言えない。
喜びも、悲しみも、たくさん感じて生きていると思う。

僕が気づいた人間にしか無い能力は、「喜びを見つけ出せる」こと。

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動物がコミュニケーションを取ったり、助け合ったりするのは、自分自身や子孫が生き延びる可能性を大きくするため。
三大欲求を満たすこと、仲間を助けること、他の部族と戦うことに快感を覚えるのは、自分たちが生き抜く上で最重要の課題だから。
それは人間も同じ。

けれど、人間が快楽ではなく、「喜びを探し、見つけ出せる」のは、動物の本能とは、真逆の発想にある。
人間のように、苦しみや悲しみ、理不尽と思える出来事の中に、「これのお陰で」と喜びを見出すことは、本能とは反する。
本来、ただ命を永らえるだけなら、つらい状況になった時、ただただうずくまって感情を殺し、耐え忍んでいる方が確実性が高い。
チーターに追われるシマウマが、「これのお陰でシマウマが増えすぎずに済む」なんて考えていたら、多分、全滅してしまう。
本能は、プラスの発想をするより、マイナスの発想をする方が、生き延びる可能性を高くできるという認識からできている。

でも人間は、むしろそのプラス思考を積極的に求める。

どんな状況でも、生きている限り、「喜びを見つけ出した方が『幸せ』」だから。
どんなに辛いこと、抗えないことが起こっても、喜びを見つけ出せれば、それを糧に幸せに生きることができる。

でも、実際のところ、それはとても難しい。
本能が邪魔をするし、「人間」という動物に元々ある能力とは言え、やはり訓練が必要だから。

だからこそ、毎日々々、喜びを探し、この能力を磨こう。
毎日喜ぶと、今この瞬間に、心に決めよう。

それが本当に幸せに生きる、人間だけに許された、唯一の手段だから。

そしてそれを代々と重ねて行けば、きっと、喜びに溢れた世界になるだろう。

何でもないと思えることを喜ぼう。
どんな辛い中でも、喜びを見つけて生きていこう。

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posted by わけい at 11:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月12日

脳の使い方。

最近、色んな方々と接する中で、人にはそれぞれ、脳の使い方の「クセ」があることに気づきました。

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その人に変化してもらいたいとか、自分の想いを理解してもらいたいと思った時、相手の脳の使い方のクセに添って伝えなければ、お互いのすれ違いを生みます。
もちろん、100%自分を理解してもらうことなど、不可能と言えば不可能なのですが、そのズレを出来る限り小さくしたほうが、お互いにとってたすかります。

芸術家と呼ばれる人の絵などを見ると、常人とは違った世界を見ているのではないかと感じることが多々あります。
しかし多かれ少なかれ、人はそれぞれ、違う世界を見、違う方法で世界を理解しています。

絵で伝えた方が理解しやすい人、数字を使った方が良い人、ロジカルな図形が良い人、論理よりも感情が大切な人。。。
実に色んな人がいます。

正しく伝えるには、相手の話をよく聞いて、相手を知り、相手の脳の使い方のクセを見極めることが必要になります。
そのためにはまず、自分自身をよく知っておくことが必要です。

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」(孫子の兵法)

と言いますが本当は、相手を知り、自分を知れば、戦う必要すらなくなるでしょう。

自分を知り、相手を知りたいという心が、世界を平和にするのかもしれません。

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posted by わけい at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月28日

介護福祉従業者の賃金がなぜ低いのか、やっと解った。〜ソーシャル・キャピタルと市場の狭間〜

障害者施設における虐待事件はなぜ起こるのか―福祉労働者の視点から考える―(藤田孝典) - 個人 - Yahoo!ニュース

こんな記事を読みました。
福祉事業所で問題が起きる根本的な原因は、低賃金などの労働環境の劣悪さであり、それを改善することが必要だという結論です。

介護福祉業界の賃金が低いことはみんなよく知っていることですが、それが「なぜ」なのかを明確に語る人は少ないです。

ふと気づきました。
介護福祉業界は、「社会的共通資本」として公的に支えられているわけでもなく、市場に任せて、利益を追求することもできない、「生かさず殺さず」の状況に、誰が望んだ訳でもないのに、追い込まれているからだと。
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「社会的共通資本」は、例えば医療、教育、軍事、道路などのように、みんなから集めた税金を中心に、みんなで使いみちを決めて振り分け、支えるものです。
お金のある人も無い人も、生きる上でそれを必ず必要とするからです。

一方、上に挙げたもの以外の大半は、「市場」で取引され、うまく行けば事業者に利益をもたらし、失敗すれば損害を被るということを繰り返しています。

今の日本の福祉制度は、この狭間にあります。
介護保険料という、共通財産を、必要とする人に再分配するという点では、医療保険(健康保険)と同じく、社会的共通資本です。
しかし、医療に比較すればその額は非常に低く、それだけで利益を得るのは難しい現実があります。
介護サービスを提供して利益を得るためには、営業を拡大し、人気のある事業者にならなければなりません。しかし、介護保険料で支えられている介護サービス事業者は、サービス料金を独自に決定する権限の幅が非常に狭い上に、提供するサービスの内容も、ほとんど自由がありません。
医療の場合、どの病院に行っても、診療内容が同じであればほぼ同じ金額がかかるというのは、介護福祉業界と同じですが、その利益率には雲泥の差があります。
市場で取引される営利事業であれば、低価格にして人気を集めることも、高額にして収益を確保することも、すべて事業主と消費者のニーズが決めますが、介護サービスの場合は、事業所はたくさんあって、利用者がそれらの中から選択することはできても、双方とも、より安いサービスを求めることも、より高い収益を求めることも、現実的に不可能なのです。
ほぼ唯一可能なのが、「『有料』老人ホーム」くらいです。

介護福祉も、医療と同じく、社会的共通資本として、公的に支えていくのか。それとも、市場に任せて、「有料老人ホーム」や「有料デイサービス」などに特化した、高所得者のための手厚いサービスと、低所得者のための必要最低限のサービスで薄利多売の事業として二極化前提で存続させるのか、今現在くらいが、最後のターニングポイントなのではないかと思います。

介護福祉を医療並に支えようと思えば、介護保険はより高額になり、負担をする年齢層を広げなければなりません。
また、ホームヘルパーもケアマネジャーもすべて国家資格化する必要があるでしょう。
市場に任せれば、サービスは確実に二極化しますから、それで本当に、多くの人が安心や幸せを得ることができるのか疑問です。また、介護が必要なのに介護を受けられない、「介護難民」が発生し、それを支える家族の負担は、国全体の労働人口の低下を招く恐れさえあります。

どうすれば良いのか、正直なところ、今の私には判断がつきかねますが、これを読んでいらっしゃる方は、今の介護福祉業界が、「ソーシャル・キャピタルと市場の狭間にある」ということを、まず認識して考えてみてもらいたいと思います。

それでも尚、どちらかを選ぶとしたら、私の選択は、「ソーシャル・キャピタルとして公的に支えるべき」だと思います。
冒頭の記事で紹介されている事業所のように、累犯障害者を支えることで、治安向上、刑務所経費の軽減が期待できます。
家族の介護負担を軽減することで、労働人口、労働時間を向上させることができます。
労働世代者の死亡は、社会的に大きな損失ですから、自殺者の減少や労働環境の改善により、生産力の大幅な向上が見込まれます。
しかも福祉で人を支えることは、一般的な公共事業と違って、その場限りの効果ではなく、永続的な効果があります。
これらのように、単純な算数で、福祉で人を支える方が、公共事業よりも実は費用対効果が高いからです。

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posted by わけい at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月25日

花粉症が治った話。

もう四年も前になるのだけれど、とてもひどい花粉症の症状が出て、ものすごく苦しい思いをしました。
でも、ふとあることに気づいて、「喜ぶ」ことができました。
そしたら、次の日からすーっと症状が治まり、それ以来ずっと花粉症とは無縁で過ごしています。

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花粉症になって、喜べたこと。

それは、

「あぁ、自分は今、誰の目にも見えないものを、感じ取ることができているんだな。それってありがたいことだな。
『神はあると思えばある、無いと思えば無い。』
目に見えないからと言って、無いわけでは無い。気づいていないだけなんだな。
現にこうして、花粉という目には見えないものを感じ取っているけれど、花粉症じゃ無い人には、それを味わうことすらできない。
花粉というのは、目には見えないけど存在して、自然環境を支えているもの。そんな中のごくごく一部だから、探せば確実に数え切れないたくさんのものが、世界を支えているんだろうな。その中に、僕も生かされている。」

と、鼻詰まりで寝不足が続いた、ぼーっとした頭でふと思ったのです。

それ以来、花粉症の症状は無くなりました。

アレルギーが完全に治るというのは、めったに無いそうですが、自分の身に起こった、不思議な事実です。

「喜べないことの中から、喜びを見出す」

そんな意識から、不思議なことが現れてくるのだと思います。

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今週のブログテーマ】今回のテーマ:【「アレルギー?生活習慣病?現代人ならではのお悩みありますか?」】

posted by わけい at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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