本家である X JAPANの原曲は、重厚かつ計算された狂気で、とてもとても素晴らしいものではあるのだけど、その分、一度聴くとお腹いっぱいになってしまう。
その点、冒頭に載せたCuttさんのカバーは、その声の優しさ、アコギアレンジが柔らかで、何度でも聴ける。
さて、私はCuttさんが大好きだ。
遡ること、26年半前になる。
Xのhideさんのトリビュートアルバムhide TRIBUTE SPIRITSに布袋寅泰さんやLUNA SEA、GLAY、YOSHIKIさんなど錚々たるアーティストが参加される中で、唯一のインディーズバンドとして参加されていたのを聴いたのが出会いだ。
一発で夢中になってしまった私は、26年前のちょうど10月、彼らのデビューと同時にメジャーデビューシングルや1stアルバムなどのCD購入はもちろん、ライブにも行き、友達にも勧めた。
彼らは、1998年にXのhideさんに見出されて上京し、1999年10月にメジャーデビュー。
しかし、御承知のようにXのhideさんは、1998年の5月に亡くなられた。恐らくは、デビュー作業の真っ只中のことだっただろう。
世間的には、ブレイクしないままの活動を続けられているが、私は26年間、定期的に追いかけて来た。
けれども、そんなに追い続けていても知らないこともあるもので、Cuttさんのお父様について知ったのは、今年の夏のことだった。
たまたまWikipediaを見て知った。
Cuttさん、そしてshameのドラム・ANIKIこと桂りょうば氏のお父様の御名前は「二代目・桂枝雀」。
ある程度の年齢の方なら、きっとご存知だろう。今は亡き、伝説の落語家だ。
実は、私の父親は、桂枝雀さんが大好きだった。
作業用BGMはいつも枝雀さん。
私は、枝雀さんの産湯に浸かって育ったようなものだ。
改めてファーストアルバムのジャケットを見ると、お二人はソックリだった。
よくも26年も気付かなかったものだ。
匂いは違うから匂う、という。
いつも嗅いでいる匂いには気付かないけれど、外国に行った時や、どこか人のお宅にお邪魔した時に、いつもと違う匂いを感じる。
だから自分が発している匂い、慣れ親しんだ匂いには気付きにくい、けれど、その気付きにくい匂いに癒される。
ある意味、声にも匂いがあると思う。雰囲気と言い換えても良いかもしれない。
私はきっと、Cuttさんのメロディーや演奏、歌詞の世界観はもちろんだけど、知らず知らず、その声質に惹かれていたのだと思う。
枝雀さんの落語から慣れしたしみ過ぎた、その声に惹かれると同時に、癒されていたのだろう。
余談だけど、桂枝雀さんは1999年4月に亡くなっている。hideさんのちょうど1年後、彼らがデビューする半年前。
恩師と実の親を立て続けに、しかも同じような形で、自分の一番の晴れ舞台の直前に亡くされている。
だから、彼らが売れずとも、存在して活動してくれているだけで、とてつもなく貴重な、有難すぎる存在だと感じざるを得ない。
父は生前、
声というのは、心の枝。心根から、心の枝を通って言の葉になる
と教えてくれた。
Cuttさんのソロ曲にも「声」という歌がある。
親への複雑な心情がありながらも慕う気持ちがとても沁みる。
売れるとか、成功するとかよりも、ただ、今日を生かされている個々人として心枝を交わして、生きたい。あなたと。

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