
親はなくとも子は育つと言うが、親は必要。
でも、それは世話をやいてくれる親ではなく、全面的に自分を肯定し、見守ってくれる存在。
それによって生きる安心感と希望が生まれる。
生きるうえで不可欠な、「自尊心」のバックボーンだから。
多くの人は、阿弥陀さまやユダヤの神、観音菩薩なんかを、その本来の教えから歪めて、全面的に自分を肯定し、見守ってくれる偉大なる存在として認識している。
そしてそれこそが、本来、人間が本能的に必要としている「神」であり、宗教に求める究極の癒しである。
だけれども、教義的にそれを実現してくれる宗教など、実はほとんどない。
さらに言えば、求める「神」像は最もか弱い時期を包み込み育ててくれた母性を体現してくれるものだが、先に挙げた神仏は全て、厳密には男性である。
観音菩薩なんかはその典型で、始まりは男性と言われているのに、いつの間にか、女性像あるいは中性的な存在として定着している。
もしも、見守ってくれている「親」として神を教義的に定義し、奉っている宗教があるなら、それは実はかなり人間の希求する本能的本質を突いたものであり、それが母性的なイメージで語られるなら、尚更求められる姿である。
と同時に、それはあまりにも、稀有な存在である。
しかしまた同時に、今まで多くの人がこれまでやって来たように、神仏を本来の教えから歪め、見守ってくれる存在として認識している以上、その稀有さに気づくこともまた、至難の技。
神様を、自分を生み育ててくれた親と同じように思い、それを生涯持ち続けることができるとすれば、人間が本能的に求めるものとして最上のものだと思う。
またこの定義は、自分を生んだ親を知らないとか、虐待されてきたとか、「親を親と思えない」という人にとっても、心の中の「親」の定義の次元を上げて認識できる教えであり、自尊心を持つための究極的な救いだと思う。
そんなもの、どこにあるだろうか?






にほんブログ村